まるで絵を描くかのように文章を書くことに決めたのだった




そういえば、友だちになったばかりの相手に、これまでどこでどんな風に生きてきたのかを、お互いにちょっとずつ打ち明けながら話すのが楽しかった時期があった。たしか20歳前後の頃がそのピークだったと思う。泊まり込みで夜通し話すのが楽しかった。

これまでのことやこれからどうしたいかとか、どんどん話すことが溢れ出てきて止まらない感じだった。

逆に、10代の頃は自分のことを誰かに話すのがあまり得意じゃなくて、おしゃべりの仕方が分からず、小学高学年くらいから、コミュニケーション術とか自己啓発本とかを読み漁って、なんとか人としゃべれるようになろうと躍起になっていた。

記憶が正しいかあいまいだけれど、1日まったく声を出さないまま、帰宅することも多かったんじゃないかな。なんと暗い小学生w

そして、現在のハナシに戻るんだけど、最近、また、おしゃべりが苦手になってきている。組織で働かなくなって、1人で仕事するようになってからは、うちの奥さん以外とは、ほとんど話をする機会がないからかもしれない。

あと、実は、数年前に脳の血流がアルツハイマーの人と同じくらい低くなっていると診断されたことがあった。その頃くらいから特に昔のキオクが薄くなっていて、自分のことでも、どこか遠い場所で起こった別の誰かから聞いた話ぐらい他人ごとに感じられるし、もはや夢だったんじゃないかレベルにまで薄まってしまっている。

なので、もしかしたら、私が書くエピソードはおおかた間違っているかもしれない。事実とはかけ離れた思い込みだけで綴られているものもあるかもしれない。でも、私は書くことを続けようと思う。きっと、どこかに必ず、この文章を読んで良かったと思う人がひとりはいるに違いないと信じている。というのも、私はまるで絵のように文章を書くことにしたからだ。それも、これを書きながら、決意した。たった今(笑)

絵のように文章を書くとはどういうことか?それは、頭だけを使って書くのではなく、無意識の部分を使って書くという意味でもある。私自身が書くというより、私の魂の部分が書かせているような状態のこと。それはまるで、瞑想状態のようなもの。

私は絵を描くときには、この方法で描いてるんだけど、文章を書くときには、この方法の真逆のやり方で書いていた。だからか、文章を書くのが苦手で、読むのは大得意なんだけど、ブログを作っても続かないでいた。

それでブログを作っては消し、作っては消しを続けていて、今回、また作ってみようと思い直したんだけど、一般的なブロガーさんが書くような文章は私にはイマイチ合っていない気がしてて、でも、SEOとかブログ術とかあるから同じような書き方しないと見てもらえないかもとかいう恐怖心があったり。多少、ブログ術を知ってしまっているからこそ、自分らしく書けないという変なループにハマってしまっていたりして。あと、昔、現代文を教えていた時期があって、書くなら論理的じゃないとダメだという変なブレーキもありつつ。

四角大輔さんの会員制コミュニティ型オンラインスクールというのがあって、最近参加し始めたんだけど、そこで、こんな感じの言葉をメンバーから教えてもらって↓

言葉でうまく説明できることは本物ではない。きちんと説明できることは心からくる衝動ではないことが多い。

この言葉を知ったとき、すごく楽になった。

だって言葉で説明しようとすればするほど、本当の気持ちとかとはかけ離れてしまって、もはや自分が書いたものではないような気もしてくるし、いったいこの感覚はなんなのだーと苦しくなっていたから。

もう、頭で考えて文章を書くのはやめようと思う。その役割は別の得意な人に任せて、私はこの絵のように文章を書くというやり方でやっていこう。

自分の内側(魂)の部分と繋がって描く絵は、他の誰かの内側とも繋がれると思って絵を描いてきたけど、文章だって同じなのだと思う。




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