田舎の庭付き一軒家に住んでた頃、庭の手入れでノイローゼになりそうだった話




程よい田舎の庭付き一軒家を借りて住んでいた頃のはなし。

その家の裏にはため池があり、窓から見える水面の美しさに心奪われて住むことを決めた。

それまでの私の勝手な田舎のイメージは、

田舎=自然がいっぱい。

田舎=自然を大切にする。

田舎=心身共に健康になる。

こんな感じのプラスのイメージばかり持っていた。

ところが、こんなイメージは一瞬で覆された。

その当時、庭にはたくさんの木や植物がぎゅうぎゅうに植えられていた。

私が住む前から、その家のお隣さんが剪定や庭の管理をしていたらしく、引き続き、お隣さんが剪定してあげようかと申し出てくれたので、年に数回、一緒に剪定することにした。

そうして、初めての庭の剪定作業の後、私は、とんでもない場所に引越してきてしまったと少し怖くなった。

というのも、日本の庭の手入れの仕方の基本は、とにかく剪定がメイン。

伸びてくる枝をとにかく切る。新芽が出てくるのを切る。

そして、常に同じ姿を保つために切る。

切る作業のループだ。

庭が狭いから仕方がないのだけれど、1か月もしない内に庭はジャングル状態になってしまう。そのままだと、植物が病気になったり、虫が発生するから、とにかく切りまくる。

年に2回の大掛かりな剪定の時には、切った枝葉で、ゴミ袋が何十袋にもなる。

虫が発生しないようにと農薬も撒いてもらったり、雑草が生えないようにと除草剤も撒いてもらう。

とにかく切りまくりの生活を続けているうちに、私は、

「なんかたのしくないかも?」

そう感じるようになった。

庭を剪定するのも木々や植物のため、とはいえ、ここまで出来上がっている庭の剪定作業は、ただの苦行でしかなかった。

自然を大切にするどころか、自然と戦っている気分になった。

生えてくる新芽はすべて切り落とす。生えてくる雑草はすべて抜く。そして、大量のゴミ袋を抱えて、ゴミ捨て場へ捨てに行く。

虫が発生しないように薬を大量に使う。

この繰り返しで、いったい何のために生きてるのかとノイローゼになりそうだった。

もっと、自然の流れのままに暮らしたい。そう思った。

以前、パーマカルチャーという自然と共に暮らす形があるという話を少し聞いたことがあったので、少し勉強してみることにした。

日本の里山は、人間が手入れしないと永続できないけれど、原生林は、自然が上手くバランスを取っていて自ら循環しているらしい。こんな風に循環していく生態系を取り入れて暮らすことをパーマカルチャーと呼ぶ。

パーマカルチャーの生活を実践している人たちも増えてきているみたいで、ネットや本などで実践の仕方とかも簡単に調べることができるようになってきた。自給自足さながらの暮らしをしている人もいるし、ベランダにゴミのコンポストを置いているという人もいる。いろんな形のパーマカルチャーがある。

かく言う私は、その後、木々の植わっていない小さな庭のある小さなアパートに引越した。

なぜか、この小さな庭でこじんまりと植物を育てたり、睡蓮鉢を置いたりしている今の方が、自然と近づいた気がしている。地面は砂利が敷いてあるけれど、それでも雑草が生えてくる。よほど邪魔にならない限りは、雑草も伸ばしてみて、どんな花が咲くのか楽しんだりしている。これがめちゃくちゃ楽しい。農薬は使っていないけれど農薬を撒きまくりだった前の家のときよりも、不思議と虫が少ない。

今は他にしたいことがあるので、しばらくはこの小さな暮らしを続けていこうと思ってるけど、いつかはもう少し規模を広げてパーマカルチャー的な暮らしをしてみるのもいいかなと思っている。




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